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ナムジュンパイク展 7/31

8:30に起きた。生活習慣のサイクルがねじれたまま3周ほど回ったせいでやたら早い時間に起きるようになってしまい、結果として就寝はともかく起床時間は模範的なものになった。
バナナとパンを食べて銭湯へ行った。最初は自分にとって真新しかった銭湯が次第に色褪せてゆくことに気付いて悲しかった。倦怠はどこまで俺の生活を蝕みやがる

昼過ぎに夕立が止むのを待って家を出て、適当にランチを摂って外苑前へ向かった。ワタリウム美術館ナム・ジュン・パイク展がやっていたから。
方向音痴という天性の才能の結果として一連の旅は酷い疲労をもたらした。でもその途中で迷い込んだ古い団地は見放されたリゾートみたいでとても良かったよ。青空に向かってくすんだ色の給水塔が突き刺さっていた。

疲労の原因を更に正しく位置付けるとするならそれは他ならぬ美術館で触れたパイクの作品群にある。彼のビデオアートの情報量と言ったら一言に凄まじかった。それは何も抽象的な感想ではない。敢えてギミックを説明するなら彼のビデオは彼が言うところの”情報のオーバーロード”を端的に体現していて、ビデオの基本要素は大体が映像、テロップ、ナレーション、音楽だと言えるが、彼の場合それらすべてがそれぞれに異なる情報を伝達しようと試みているので、視聴者としてはそれを追わざるを得ないしそれは非常に疲れる行為だった。結局それの虜になり、テレビの前に座って相当の時間を費やし、情報が氾濫したテレビの森に立ち竦んでその場を離れた。
美術館のカフェはおかしな価格帯だったが疲れて座りたかったので入ってジャスミンティーとミントティーを頼んだ。どちらも最低な味がして、ソファで20分ほど寝て帰った。

パイクの言葉を羅列したい。
『ケージの音楽は非常につまらなかった。禅と似ていると思った。禅もつまらないからです。そこに私は惹かれました。』
『真に良いものが評価されるためには長い時間がかかります。だから若い人たちはやり続けるべきです。100年でも…人間の身体は強いのだから。』