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ロッドユール

6/8/2016

 
友達がいる  夕べステージで
きみは歌ってる  まるでスターのように
恋人の歌  バンドがやってた
僕はその歌  すごくいいと思った
 
初めてギターに触れるような
本当に恋をしてるような
今すぐ何かやれるような

そんな気分さ

 
大好きな友達がやってるバンドを観た。ロッドユール(RADDDJUR)というバンドだ。
彼らの音楽を端的に表現するのは非常に難しい。表層のみをなぞればDinosaur Jr.やPavementからCloud Nothingsといった愛すべきUSインディーの系譜及びVelvet CrushやTeenage Funclub〜Yuckらのような”USの影響を受けたUKインディ”、更には井上陽水からくるりまで洗練されたポップネスを内包した日本語のロックをルーツに、グッドメロディと歪んだエレキギターを鳴らすオルタナティブロックバンドといった風に表現できるのだろうが、そんな評論家めいた言説にはまるで物足りなさを抱いてしまうほどの愛しさが彼らの音楽にはある。
 

 
彼らの代表曲と言える”ブロンドネス”では出だしの一節がその愛しさを端的に証明してくれる。
 
”踊れない僕たちの声は小さくて 作り出した距離で煙草は煙る” 
 
シーンにあらゆる局面で”踊れる”とされる音楽が溢れ、音楽の内容を度外視したクラブカルチャーが席巻して誰もが現実逃避のために踊る現状は、僕らのような現実に強烈な無力感を抱いている人間にとっては一言に非現実的で、そこに参入することすらできない、その勇気もない僕らのような大学生には決定的な疎外感がある。
現実に抑圧された若者の声を代弁するのがロックンロールであるとするなら、彼らはうんざりするような現状、形骸化した”ロック”の文字を掲げる腑抜けや細分化されたカテゴリの奴隷たちが溢れるその中で真実味を帯びたロックンロールの子孫であるといっていい。
 
彼らは”サイサリス”でこう続ける。
 
”こんなにも僕たちは 泣いたり笑ったりしてるのに なんにも覚えてなくて こんなにも僕たちは 泣いたり笑ったりしてるのに なんにも楽しくなくて” 
 
 
僕らが常に抱いている希薄な現実感の中で無慈悲なまでに過ぎていく日常は、僕らのような抑圧されてなおパンクスにもアウトサイダーにもなれず、なんとなくやるせない気持ちを抱き続ける人間にとってもっとも切迫した現実だ。
このバンドのフロントマン、太田春樹くんの中にはどこかに”スラッカー”というキーワードがあるようだ。USインディーの旗手、J・マスキスやブラッドフォード・コックスは彼ら自身よくスラッカー(怠け者)と表現されるらしい。スラッカー呼ばわりされる寂しさややるせなさを埋めようとするかのように、彼らはギターのボリュームを上げて思い思いに叫ぶ。
ロッドユールは明らかに、その精神性に共鳴する感情を抱いている。それはいつの時代にも通底する、何かをしくじってしまった僕らのような人間を揺さぶりにかかってくる。いま日本で数多のインディーバンドがやっている、洋楽のコスプレやセンスのひけらかしといった軟弱で媚び切った逃避とは無縁の、”死に絶えた情熱”がそこで確かに鳴っている。
 
ロッドユール(RADDDJUR)
 
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photo by rina