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石井聰互 ”水の中の八月”

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石井聰互 ”水の中の八月”をみた。
本作は非現実感やサイケデリックという言葉で表現されることが多いようだがその感覚について少しばかり考察した。
個人的な思想としては、サイケデリックという表現には二種類の意味合いがある。一つはドラッグの効果によって歪んだ現実が魅せる非現実を指す。もう片方が意味するのはその歪んだ現実の感覚である。そのトリガーを引くのはドラッグではなく、現実そのもの、つまり我々の日常である。この場合のサイケデリックは端的に言えば現実に垣間見える非現実とでも言えようか。それは既視感や違和感によってトリガーされる。
この映画に於けるサイケデリックとは、明らかに後者である。劇中の映像は幼年期にまだ汚れていない瞳のレンズで観る色、物心つく前に観た色がそのままフィルムに焼き付いているような感覚を抱かせる。また、僕らの日常にもある、現実に垣間見える非現実、例とするならば木漏れ日や陽炎だろうか。それらがフラッシュバックを連想させる畳み掛けるようなカットで我々の中枢神経に作用してくる。
また、本作を観て真っ先に僕が想起したのはbloodthirsty butchersの8月(alternate ver.)だった。同曲はアルバム ”kocorono”に収録された同名曲の別ミックスである。アブストラクトなノイズの音像から始まり、あの有名なスネアの鳴るイントロから繋がるのだが1st ヴァースの後、原曲ではギターソロに当たる部分で全体に強いフィルターがかかる。それはまるで水に潜った時に鼻がくすんで耳に膜がかかるような、大粒の泡の音と酷似している。水の中の八月とは言い得て妙だと感じる。また、フロントマンである吉村秀樹は同曲を指して「あれが僕にとってのサイケデリック」であると説明している。水面や陽炎に映る都市がゆらゆらと歪む映像に僕は両者に共通する表現しようのない揺れる想いを感じてならなかった。